カルテの書き方

 ある病院の診察室の光景です。

「どうしましたか」

「半年くらい前に便に血が混じることがあって、少し気になっていたのですが、昨日また同じことがあったので、心配になってきました」

 このような場合、医者も患者さんも、からだの異常に気づいてからの出来事しか話題にしないことがほとんどでしょう。血便のほかに、お腹の調子はどうかとか、食欲はどうかとかに質問が及ぶことはあっても、半年前、1年前の症状が出る前のことが、カルテのアナムネーゼ(既往症)欄に書き込まれることはありません。これが現状です。

 しかし、これまで繰り返しお話ししてきたように、この流れから脱却する必要があるのです。なぜなら、病気の原因は発症以前に存在するからです。いくら病気の症状を詳しく聞いても、現状が把握できるだけで病気の原因はわかりません。無理な生き方、真面目過ぎる考え方、つらい環境、心の悩みなど、からだを痛めつけている原因を解明する必要があるのです。

 たくさん検査をしても、病気の状態が分かるだけで、原因を知るのにはほとんど役に立ちません。りっぱな機器をそろえた大病院に行っても、病気の本当の原因を知ることはできないのです。私たちは、大病院で精密検査を受ければ、病気の原因に辿り着けるという幻想をいだいてきました。しかし、病気の原因は、生き方の無理や偏りにあるので、精密検査で病気の謎が解けることはないのです。

 病気の症状が現われる以前に注目するということは、医療や医学の質をも一変させるほどの影響があります。悩んでいる患者さんの考え方や生き方の偏りに対してのアドバイスが必要になるからです。人間は弱い存在ですから、ストレスに負けやすいし、真面目過ぎて自分を痛めつけてしまうことも多いでしょう。このような生き方の問題が病をつくることを患者さんに説明し、新しい生き方へのヒントを示すわけです。

 このような流れは、「医は仁術である」という言葉を復活することでもあるでしょう。他人に生きる指針を与えなければならないとなれば、医療関係者に全人的な力量が求められることにもなります。単純な知識だけの科学万能主義では全うできない世界なのです。   以上です・・。

 

だから「病気は自分で治す」なのですね。医師と患者、双方の感性の問題かもしれません。教育も大事ですね。   温王子でした・・・